2021.05.02
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5月2日、朝。天気は、雨。
子供が空を見上げてツイートする。
「スズメさん可哀想」
何で?と問う。
「だって頭も羽根も濡れてるよ」
なるほど、と。
邑井の回です。
私は写真作品や芸術作品を見ることが好きですが、すごいなとか、かっこいいなとは思っても、本質的なことは分かってないことが多くて、作者以外の誰かが書いたもっともらしいレビューを読んで知った気になって完結させている自分に、漠然と違和感を感じていました。
とりわけ、最新の写真の潮流を汲んだ世界的に評価されている作品を見ると、感性が完全に取り残され、そもそも何も感じないこともあります。この場合、他人のレビューを見ても大概は腑に落ちない。
何か理解できる手段はないかと模索しているうちに、こんな本に出会いました。
じゃない写真。渡部さとる著
読み終わってから気づいたのですが、
私の好きなYouTuberの方でした。
2B Channelといいます。読書感想文を前に、こちらもオススメです。
実際の写真集を用いての全ページレビューや、写真プリントを買うことの楽しさなど、すごくわかりやすく語ってます。おじいちゃんです。チャンネル登録お願いします。
https://youtube.com/channel/UCfaR0r_x5jN3gOXYYBjNkkQ
閑話休題。この本を読むことで、現代アートの歴史と変遷を知ることができ、なぜ昨今の作品が評価されているのか、を体型的に知ることができました。
美術とは、美しいもの、荘厳なものと固定概念がある限り、現代アートはついていけない。人によっては不快なものが多いからだ。著者曰く、ナイフで刺されたように感性をエグられ、見てから数日たっても忘れられず、時折思い出してはまた不快になる。これが現代アートとであると思うことができたらその作品を読み解く鍵となるのかもしれない。
この本は、コラム集で構成されています。その中でとりわけ好きなコラムの中に、
「場をつくり出すこと自体がアートの行為」
という章があって、現在の主流になっている美術館などの空間自体を利用したインスタレーション型から、その場所自体をつくり出すサイトジェネレート型に変化している、とある。
実際の例として、2018年のアルルフォトフェスティバルにて、写真家・荻野NAO之さんが主催の「偶」が行なったアートイベントがまさにサイトジェネレート型で、芝生のスペースに囲うように幕を張り、テーブルを置いた真ん中に盆栽と水鉢を置き、何もないところから突如「茶席」が出来上がる。茶会は1時間ほどで終わり、最後に茶碗受けとして敷いてある紙を各人が真ん中の水鉢に入れる。すると特殊な紙で青く現像される。茶碗の置いた位置や太陽光の当たり方で現像具合はひとつひとつ違う。「これが私たちがアルルで過ごした1時間の証拠です。」と締め、茶席は跡形もなくなり、ただの芝生のスペースと戻る。
これは、すごく美しい上に感動がありました。と同時に、やはり自分の固定概念は旧態依然として残っているのかなと思い読み終わって1番残った感想としてはある意味悲しくもあり、、。
とりあえず、今回はこんなブログです。
締めます。
最後に、上で名前が上がった方の紹介。
写真家・荻野NAO之さんhttps://www.naoyukiogino.jp/
うん。カッコいいです。不快じゃないです。
では、では。
邑井 隆一