2021.09.11
/ BLOG
価値について
お世話になります。邑井の回です。
更新遅くなったことをお詫び申し上げます。
私の撮った写真が、図らずも遺影となりました。
先日、義父が亡くなりました。
急なことでまだ色んなことに整理がつかないまま日常を消化しています。
私は毎年正月に、必ず家族写真を撮ります。毎年変わらないようで変わっていく様を物理的に変わったことを自分自身に確かめさせるためであり、今後娘の結婚式などで活躍できるかもとスケベゴコロも副産物としてしたためているためです。
その時に、ついでに、カメラを片付けるまで数枚シャッターを切ります。
ついでの写真が、遺影となりました。
撮っといてよかったと、ここまで思ったことは初めてです。
今までハードディスクに眠っていたときは、控えめに言っても無価値でした。現像はもちろん、見返すこともありませんでした。
写真の価値は、現金なもんで、変わる様をまざまざと見せつけられました。
いつ、誰にとって、は条件になると思いますが、何のために、を忘れかけていた自分の気持ちに何か響くものがありました。
と同時に、いつも、誰にとっても、価値のある作品を作り出す人ってすげーなって思うようにもなりましたが、大好きなラッパーがフリースタイルで言ってた、「おれとおれとの勝負、の間に付き合わせてる、楽しめ」てのが最終形態なんだろうな、と改めて納得しました。
映像では表現できない、瞬間の切り取った表情や情景を記録する写真の価値はまだまだあるのだろうな、とも思いました。
以上です。でわでわ。
邑井